21年前、8月のそれはそれは暑い日でした。83歳で亡くなった父の葬儀は自宅でした。余りの暑さで何人かの方が途中で帰られたと伺い大変恐縮したものでした。
その父は70歳の折 胃潰瘍で多量の吐血、胃の4分の3の摘出でしたが大量の輸血で元気に。その後13年の延命いたしましたが、その間パーキンソン病が進行し水分補給の点滴のために入院した筈がアットいう間の4日後に帰らぬ人となってしまいました。
バタバタしているなかライオンズメンバーであった弟から献眼の話がそっと耳打ちされ、急きょ家族会議となりました。4人の姉妹は反対、弟と自分が賛成。一時険悪な雰囲気に。無理強いはどうかな?と思いつつ後ろのほうにいた母に「母さんはどう思う?」と問いかけてみた。すると以外にもアッサリと「私はいいとおもうよ」との答えがかえってきた。そのひとことでライオンズクラブに入会間もない自分のなかでインパクトの強いアクティビティが無事務められるか心配しましたが、関係者のお計らいでなんとか済ませることができました。「母に感謝」
それから21年 その母が98歳で天寿を全うしました。戦中、戦後の暗いそして苦しい時期に6人の子育てはそれは大変で我が口にいれるのを止めて子供らにとの様子はかすかに覚えております。
旅行が好きで車椅子生活になっても誘えば何処でも行き食欲旺盛な人で少女時代から文学少女といわれ、子供たちも成人したのちでも漢字をきくほどで病を発症前では柴田トヨさん著「がんばれ 100歳」を見ていました。
脳梗塞を起こし数日の命と宣告されるも点滴の針を刺すところがないくらいむらさき色に腫れ上がった腕や足をリハビリのためにと動かされると自分では動かせないのに気丈なその素振りが目に残ります。
母が亡くなる2ヶ月前、娘の嫁ぎ先の父親が亡くなり矢張り献眼に協力してくれました。葬儀の際関係各位のご挨拶や感謝状贈呈の様子をみた若い女性がツイッターで感想をながし身近な出来ごととして話合ったと聞かされました。
雑駁な話で恐縮ですがこのようなことを書き出しましたら1年前、21年前のことを思い出し、いささか不遜なわが身を恥じいることとなりました。
栃木県アイバンクの皆様・関係する皆様には貴重な機会と故人に対する敬意の念を表して下さいましたことを心から感謝申し上げ挨拶とさせていただきます。
「両親・家族に感謝」
(公財)栃木県アイバンク「光とアイ」11号より